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2017年08月14日
ナスカンにまつわる謎 その4 九九式短小銃編
さてさて随分と間が空きましたが、ナスカンシリーズ最終の第4回は、九九式短小銃編をお送りします。
まずはこちらの画像をご覧ください。↓
↑こちら九九式短小銃(無可動)です。よく見ますと、スリングとナスカンの組み合わせですね。
この写真は自宅で撮影したものですが、中田本「軍装と装備」に同配列の白黒写真が紹介されています。中田本に掲載されているこの写真は戦後、米軍によって接収、撮影されたものと思われます。
当初、セカンド木村はこの九九式に使用されているスリングとナスカンは30ミリ巾のものと考えていました。
つまり・・・↓
では名古屋工廠で生産された初期型とそれ以外の九九式の違いを無可動実銃と、取扱法とで見てみましょう。↓
まずはこちらの画像をご覧ください。↓
↑こちら九九式短小銃(無可動)です。よく見ますと、スリングとナスカンの組み合わせですね。
この写真は自宅で撮影したものですが、中田本「軍装と装備」に同配列の白黒写真が紹介されています。中田本に掲載されているこの写真は戦後、米軍によって接収、撮影されたものと思われます。
当初、セカンド木村はこの九九式に使用されているスリングとナスカンは30ミリ巾のものと考えていました。
つまり・・・↓
↑このように、ナスカンは30ミリ対応のもの、スリングは三八式小銃用の30ミリ巾のもの、と、この組み合わせだと考えていました。
しかし、結論から言いますとこれは間違いでした。(絶対あり得ない組み合わせだとも言い切れませんが)
『ナスカンを製品化出来たら九九式スリングが製作販売できる!』と単細胞なセカンド木村は一人興奮していたのですが、そうは簡単にはいかないことが徐々に判明してきました。
先ずはそれを「九九式小銃及短小銃取扱法」に見てみましょう。↓
↑「九九式~取扱法」です。そんなに珍しいものではありません。
↑属品の紹介欄に『負革(小銃ト短小銃は其ノ形状ヲ異ニス)』とあります。ここでいう小銃とは九九式長小銃のことです。長小銃は俗称です。既にここで、負い革の形状の違いが記されています。ではどの様に異なるのか次を見てみましょう。
↑『小銃ノ負革ハ・・・「びじょう」ニ依リ長サヲ加減スルコトヲ得 短小銃ノ負革ノ異ル所ハ幅ヲ廣クシテ長サヲ二十五粍短クシテ又下部ニなす環ヲ附シ床尾負革止座ノ装着ト相俟ツテ負革ノ箸脱ヲ便ナラシム』と、あります。さして難しい文ではありませんが敢えて分かりやすく要約すると・・・
『小銃の負い革は尾錠により長さを調整する。短小銃の負い革は{(長)小銃と比較してベルトの}巾が広く、長さが25ミリ短く、ナスカンが付属してスリングスイベルに脱着が容易である』
と、いうことになります。
↑付図にもこのようにナスカンが紹介されています。
しかし『巾を広くして』とあるように、九九式短小銃の負い革はベルト巾が広いのです。↓
↑画像内、上が三八式(30年式)用の30ミリ巾で、下が九九式短小銃用の36ミリ巾のものです。
↑ノギスで計測してみますと、ピッタリ36ミリあるのが分かります。
実はこれは兵器制式図にもベルト巾を示す部分が「36」と表記してあるので、九九式短小銃の負い革は36ミリ巾であることはほぼ間違いないでしょう。オークション等でベルト巾を35ミリとして販売しているものを以前に何度か見かけましたが、厳密に言いますとそれは間違いになります。まあ、製作時の誤差の範囲ではありますが・・・。
話しをもとに戻しますと、セカンド木村が(難儀をして)製作したこのナスカンは・・・↓
↑30ミリ巾対応なので、九九式短小銃用負い革には使用できないのです・・・泣( ノД`)シクシク…
しかし、この躓き(?)により、新たなことが判明してきました。
↑画像提供:H様
こちら36ミリ巾に対応したナスカンです。画像内、上と下のものがそれです(真ん中は30ミリ巾)。この幅広なナスカンが九九式短小銃の負い革に付属することになります。
・・・しかし、全ての九九式短小銃にこの「36ミリ巾負い革とナスカン」が装着されていた訳ではありません。
上で紹介した
「36ミリ巾負い革とナスカン」の組み合わせは名古屋工廠で初期に生産されたものに限られます。
では名古屋工廠で生産された初期型とそれ以外の九九式の違いを無可動実銃と、取扱法とで見てみましょう。↓
↑上から
①32630 名古屋 (初期型)
②34798 名古屋 (前期型)
③ホ 39061 名古屋 (中期型)
となります。多くの九九式には「イ・ロ・ハ・・・」の刻印が打たれており、それにより製造ロットを判別できます。
↑①と②には対空照尺が付いています。③の中期型以降はこれが付属しません。これは皆さんよくご存じかと思います。
↑①と②に比べ③の中期型はフロントサイト(照星)が低いのが分かります。単脚も省かれています。
↑さく丈も③の中期型には見せかけだけ(叉銃のため)のものになります。
↑続いて床尾負革止座(リアスリングスイベル)を見てみましょう。①だけ形状が異なるのが分かります。もう少し詳しく見てみましょう。↓
↑①と②は外観は(銃床を除いて)ほぼ一緒に見えますが、大きく異なるのはこの部分。①は輪っか状ですが、②は一般によく見られるタイプなのが分かります。
↑①の名古屋初期型を詳しく見てみましょう。↓
↑この輪っか(床尾負革止)をちょっと前方へ倒してみましょう。↓
↑分かりにくいかもしれませんが、この輪っかは完全に前方へは倒れません。↓
↑このように、完全に前方へは倒れず、この部分で止まります。分かりやすい画像で見てみましょう。↓
↑画像提供:K様
床尾側へはここまでしか倒れず、銃口側へは・・・↓
↑ここまでしか倒れません。
↑床尾負革止座の作りに違いがあるのが分かります。上図、矢印の部分にその仕組みが見て取れると思います。
これはつまり↓
↑このようにナスカンを引掛け易くするためのものだったのです。
先述の「九九式~取扱法」にある『・・・床尾負革止座ノ装着ト相俟ツテ負革ノ箸脱ヲ便ナラシム』とはこの仕組みのことだったのです。
↑それゆえ短小銃の付図にはこのようにきちんと「床尾負革止」と「床尾負革止座」がわざわざ別個にイラストされており、さらに・・・↓
↑『・・・短小銃ニ於テハ負革止ノ斜面ヲ後方トシ其ノ前後ヲ誤ラヌヤウニスベシ』と、あります。
つまり、負革止座の前後を逆に付けないように気を付けろ、とこんな事まで注意書きされているのが分かります。
画像提供:K様
↑そして極めつけがコレ!!名古屋工廠初期生産品00006番です。完成直後の当時画像で独特な形状のスリングスイベル、幅広な負い革とナスカンが付されているのがハッキリと見て取れます。負い革を装着された状態で出荷されたとのことです。
・・・しかし、実際にこのナスカンを装着した内地、戦地での画像等はあまり見かけません。が、アッツ島攻略の様子を伝える当時のニュース映画にはこのナスカン付きの九九式を装備していたとハッキリ分かる映像があります。ご興味がありましたらYOU TUBEで検索してみてください。陸軍兵士が雪の斜面を画面左上から右下に下って駆け抜けるシーンで、先頭の兵士が小銃に日の丸寄せ書きを巻いているその床尾側に幅広スリングにナスカンが確認できます。次の兵士は火炎放射器(だと思う)、三番目の兵士は小銃にやはり幅広なスリングとナスカンの組み合わせがハッキリと分かります。続く四人目も同様に・・・と確認できます。
↑最後にもうひとつ。
ナスカンを付する九九式短小銃は名古屋工廠製の初期生産品に限られる、ということはこれまで述べてきました。
では肝心のスリング本体は?というと、これまた別バージョンが存在し、コレクター泣かせなのである。
上の画像内、上側のスリングが実物36ミリ巾のスリングです。このタイプはよく見られます。
一方、ナスカンを付する名古屋初期の九九式には下側のスリングになります。アップ画像で違いを見てみましょう。↓
↑一般的によく見られる九九式のスリングは長さ調整用の穴が等間隔に10個ですが(上側)、ナスカンを付する名古屋初期の九九式には下側の3個+3個=合計6個の調整穴が開けられています。(下側のものは工房製です)
さらに革の厚みは何故か3.5ミリという微妙な仕様。その後、厚みは4.0ミリに戻りますが、調整用の穴の数と革の厚みに兵器開発部のどのような思惑があったのかは分かりません。
まだまだ粗削りで詳細を紹介出来ていませんがこれでナスカンの謎シリーズを一旦終了したいと思います。最後までお読みくださいました皆様有難うございました。
また今回貴重な画像提供や資料の紹介、唐突な質問にも快く答えてくださいましたH様、K様には厚く御礼申し上げます。
そして無可動九九式短小銃名古屋初期生産品を米国より探し出してくださいましたアーマードフォースの村山様、重ねて御礼申し上げます。本当に有難うございました。
でくの房@セカンド木村