CATEGORY:旅日記
2018年04月26日
欧州へ5
さてさて、スロヴァキアの首都ブラチスラバから再びウィーンへ戻って再訪しましたのは、『軍事史博物館』です。
「再訪」といいますのも、実はセカンド木村は結婚前にカミさんと一度訪れたことがありまして、15年も前の話になります。
↑「二度も行かなくていい」というカミさんとは別行動。なので子供を連れて市電で最寄りの駅から目的地へ歩いて行きます。
↑駅付近にあった爆弾(?)を模したオブジェ。日本では考えられません。
↑歩くこと約10分。軍事史博物館に到着しました。
↑1Fより第一次大戦前夜からの展示となります(多分)。詳しくないのでどこの何という軍服かはさっぱり分かりません。
↑これは・・・シュワルツローゼかな??オーストリアだから・・・とは安直か(笑)。
↑小銃のカットモデル品も展示しています。とにかく展示している銃の数が多すぎます。
↑カートもご丁寧にモデル別に展示しています。
↑フランツ・ヨーゼフ1世。博物館入り口にあった立像もそのようです。
↑皇帝の軍服類を展示していました。
↑この博物館の目玉ともいえる展示品です。皇位継承者たるフランツ・ヨーゼフ1世の甥、フェルディナント皇太子が暗殺されたときに乗っていた車両です。「サラエボの銃声」で知られるこの事件をきっかけに、世は第一次大戦に突入していきます。
↑事件当時、皇太子が着ていた軍服には、今も銃創と血のりがハッキリ残る・・・
↑さて、そこから先は完全に第一次大戦のコーナー。
↑銃器類の展示も一層と充実してきます。
↑こちら鉄の天蓋を持つトーチカ。大砲の弾が命中、陥没して亀裂が入っているのが見て取れます。
↑そのトーチカを内部からも見学できます。以前はこんな風には展示していなかったような気がします。
↑複葉機も展示されています。
↑航空機に搭載していた機関銃でしょうか?
↑こちら塹壕内を再現したコーナーの展示の一部。↓
↑ベルトリンクへカートを詰め込む機械。
↑大口径砲がありました。↓
↑砲尾。
↑ライフリングの溝がハッキリと確認できます。↓
↑この他、大小の臼砲、迫撃砲などが展示されてます。↓
第一次大戦は「マシンガンウォー」と呼ばれるように、当時の新鋭機器であった機関銃による攻撃及び防御で多くの死傷者が出たと言われていますが、実際には野砲等による死傷者の方が多かったようです。ここでの多くの大小口径砲の展示はそれを物語っているとも言えます。
↑待ってました!日本軍の戦時服です。今更説明の必要もありませんが一次大戦当時、日本は連合国側で参戦しており、ドイツ軍が守る青島要塞を攻撃、陥落させました。余談ながらこの時日本が得たドイツ兵捕虜たちが日本国内でベートーベンの第九を初演奏したということも有名な話し。映画化もなされ、今年(2018年)はそれから百年記念ということで、徳島県の鳴門市では盛大な催しが開かれるみたいです。
閑話休題
↑これは明治軍帽か?・・・そして↓
↑26年式が!・・・う~ん、やっぱりホンモノは良い色してますねえ~。持って帰りたいです(笑)
↑さて、ここからは第二次大戦コーナーです。フィーゼラーが展示されています。
↑下から見上げると見えにくいはずのMG15もきちんと搭載しているあたり、展示の手抜きの無さを感じさせます。
↑降下猟兵。お好きな方も多いと思います。
↑75ミリのPak。対戦車砲です。
↑こちら多分メッサーシュミットのプロペラだと思います。F型以降かな??
↑当時の世相を伺わせるこんな民間品も・・・
↑こちらも超が付くほど有名。88ミリのFlak、対空砲です。・・・狙う先は・・・?
↑・・・当然米軍のB17爆撃機です。なぜか上部砲塔のみが展示されていました。↓
↑セカンド木村はこんなに間近で見るのは初めてで、ちょっと嬉しかったです。↓
↑銃弾の送りの仕組みが見て取れます。
↑米軍クルーと撃墜されたB17(だと思う)のプロペラの残骸。
↑12.7ミリのブローニングがひん曲がっています。
↑この付近にあった謎の展示物。撃墜されたリベレーターの尾翼かな?とも思いましたが、説明文も無く(あっても読めませんが)、不気味でした。
↑軍服類の展示もまあまあ充実しております。(フラッシュ禁止なので自分自身の姿がガラスに映ってしまっています、申し訳ない)
↑最末期(?)品のブーツか?
↑仕上げが粗雑です。
↑木底に直に鋲を打ち込んでいます。とてもじゃないけどこんな物でまともに戦闘なんて不可能です。困窮する末期の様子が伺えます。
↑SSの迷彩スモックを戦後に改造されたと思しき品。こーゆーパターン、洋の東西を問わず、ですね・・・。
↑展示はこの他にも海軍のコーナーもあります。
↑屋外にはT34がありました。15年前に来た時には触ろうがよじ登ろうが、注意されるような雰囲気も無く「ほったらかし」な状態でしたが、なぜか今はバリケードがあり、近くで見学は出来ませんでした。
↑あ゛!「チト」がああー!と思いきや、こちら西独の車両です。残念。でもこれ、改造したらそれっぽく見えるかも??
さてさて、軍事史博物館はこの辺で終了したいと思います。
加えて欧州旅行日記もこれでおしまいにしたいと思います。ほかにも記事になる小失敗、珍事、是非行ってほしい観光地もあるのですが、でくの房の本業に支障を来しますので以上で終わりにいたします。
最後までお読みくださいました皆様有難うございました。
でくの房@セカンド木村
「再訪」といいますのも、実はセカンド木村は結婚前にカミさんと一度訪れたことがありまして、15年も前の話になります。
↑「二度も行かなくていい」というカミさんとは別行動。なので子供を連れて市電で最寄りの駅から目的地へ歩いて行きます。
↑駅付近にあった爆弾(?)を模したオブジェ。日本では考えられません。
↑歩くこと約10分。軍事史博物館に到着しました。
↑1Fより第一次大戦前夜からの展示となります(多分)。詳しくないのでどこの何という軍服かはさっぱり分かりません。
↑これは・・・シュワルツローゼかな??オーストリアだから・・・とは安直か(笑)。
↑小銃のカットモデル品も展示しています。とにかく展示している銃の数が多すぎます。
↑カートもご丁寧にモデル別に展示しています。
↑フランツ・ヨーゼフ1世。博物館入り口にあった立像もそのようです。
↑皇帝の軍服類を展示していました。
↑この博物館の目玉ともいえる展示品です。皇位継承者たるフランツ・ヨーゼフ1世の甥、フェルディナント皇太子が暗殺されたときに乗っていた車両です。「サラエボの銃声」で知られるこの事件をきっかけに、世は第一次大戦に突入していきます。
↑事件当時、皇太子が着ていた軍服には、今も銃創と血のりがハッキリ残る・・・
↑さて、そこから先は完全に第一次大戦のコーナー。
↑銃器類の展示も一層と充実してきます。
↑こちら鉄の天蓋を持つトーチカ。大砲の弾が命中、陥没して亀裂が入っているのが見て取れます。
↑そのトーチカを内部からも見学できます。以前はこんな風には展示していなかったような気がします。
↑複葉機も展示されています。
↑航空機に搭載していた機関銃でしょうか?
↑こちら塹壕内を再現したコーナーの展示の一部。↓
↑ベルトリンクへカートを詰め込む機械。
↑大口径砲がありました。↓
↑砲尾。
↑ライフリングの溝がハッキリと確認できます。↓
↑この他、大小の臼砲、迫撃砲などが展示されてます。↓
第一次大戦は「マシンガンウォー」と呼ばれるように、当時の新鋭機器であった機関銃による攻撃及び防御で多くの死傷者が出たと言われていますが、実際には野砲等による死傷者の方が多かったようです。ここでの多くの大小口径砲の展示はそれを物語っているとも言えます。
↑待ってました!日本軍の戦時服です。今更説明の必要もありませんが一次大戦当時、日本は連合国側で参戦しており、ドイツ軍が守る青島要塞を攻撃、陥落させました。余談ながらこの時日本が得たドイツ兵捕虜たちが日本国内でベートーベンの第九を初演奏したということも有名な話し。映画化もなされ、今年(2018年)はそれから百年記念ということで、徳島県の鳴門市では盛大な催しが開かれるみたいです。
閑話休題
↑これは明治軍帽か?・・・そして↓
↑26年式が!・・・う~ん、やっぱりホンモノは良い色してますねえ~。持って帰りたいです(笑)
↑さて、ここからは第二次大戦コーナーです。フィーゼラーが展示されています。
↑下から見上げると見えにくいはずのMG15もきちんと搭載しているあたり、展示の手抜きの無さを感じさせます。
↑降下猟兵。お好きな方も多いと思います。
↑75ミリのPak。対戦車砲です。
↑こちら多分メッサーシュミットのプロペラだと思います。F型以降かな??
↑当時の世相を伺わせるこんな民間品も・・・
↑こちらも超が付くほど有名。88ミリのFlak、対空砲です。・・・狙う先は・・・?
↑・・・当然米軍のB17爆撃機です。なぜか上部砲塔のみが展示されていました。↓
↑セカンド木村はこんなに間近で見るのは初めてで、ちょっと嬉しかったです。↓
↑銃弾の送りの仕組みが見て取れます。
↑米軍クルーと撃墜されたB17(だと思う)のプロペラの残骸。
↑12.7ミリのブローニングがひん曲がっています。
↑この付近にあった謎の展示物。撃墜されたリベレーターの尾翼かな?とも思いましたが、説明文も無く(あっても読めませんが)、不気味でした。
↑軍服類の展示もまあまあ充実しております。(フラッシュ禁止なので自分自身の姿がガラスに映ってしまっています、申し訳ない)
↑最末期(?)品のブーツか?
↑仕上げが粗雑です。
↑木底に直に鋲を打ち込んでいます。とてもじゃないけどこんな物でまともに戦闘なんて不可能です。困窮する末期の様子が伺えます。
↑SSの迷彩スモックを戦後に改造されたと思しき品。こーゆーパターン、洋の東西を問わず、ですね・・・。
↑展示はこの他にも海軍のコーナーもあります。
↑屋外にはT34がありました。15年前に来た時には触ろうがよじ登ろうが、注意されるような雰囲気も無く「ほったらかし」な状態でしたが、なぜか今はバリケードがあり、近くで見学は出来ませんでした。
↑あ゛!「チト」がああー!と思いきや、こちら西独の車両です。残念。でもこれ、改造したらそれっぽく見えるかも??
さてさて、軍事史博物館はこの辺で終了したいと思います。
加えて欧州旅行日記もこれでおしまいにしたいと思います。ほかにも記事になる小失敗、珍事、是非行ってほしい観光地もあるのですが、でくの房の本業に支障を来しますので以上で終わりにいたします。
最後までお読みくださいました皆様有難うございました。
でくの房@セカンド木村